INTERVIEW

小梛準子さん

インフルエンサー 小梛準子さん

PROFILE

インフルエンサー、PRマーケティング、キャスティング、クリニック運営
2012年頃から2024年現在にかけ約10〜12年に渡りモデル・DJ・インフルエンサ ー・PR企画・キャスティング・ブランドディレクション・SNS運用などをフリーランスで行う。
2017年に出産。シングルマザーとなる。
産後は演者として前に出ていた経験を活かし裏方業に専念。
多数の現場にて築き上げた独自の人脈はどれも濃く、多い年には年間60件以上のイベントの企画や運営、撮影などの協力を行う。
現在はクライアントワークの他、美容医療クリニックの運営や、企業コンサルティングに力を入れている。

自分のやりたいことする為に、どんな事をされましたか?

ブランドデザイナーになるのが幼い頃からの夢でしたので、17歳の時に通信制の高校へ通いながら渋谷109のアパレル店員を始めました。

当時の109は百億円ギャル時代と言われて、ギャル店員がものすごい売上を上げる時代でした。

しかし、ショップ店員として普通に働いても自分のブランドを作れないと気付き、自分でブランドを立ち上げる為にどうするかを模索し始めました。

数年が経った頃、ショップ店員をしながらモデルのお仕事もお声がけいただくようになり、自分の見た目に特に自信があるわけでも無かった私は、最初はモデルのお仕事をすることに抵抗があったのですが、自分が将来ブランドをやる為にモデルのお仕事がプラスになるかもしれないと考え直し、背の低いわたしでもいただけるモデルのお仕事だけに絞るなど、ブランディングを工夫したところ20代前半でモデルだけで生活が出来る程になりました。

その後、たまたまわたしが撮影や自撮りの際によくしていた親指を唇に押し当てるポーズにサムポーズ(親指のサム)という名前がつきバズり、渋谷のビジョンやTV番組に名前付きで紹介されるほどの知名度にもなり、たくさん取材を受けたり、指名でのお仕事の依頼をいただけた時期がありました。

小梛準子さん

モデルとして自分の売りをどう作りましたか?

自分のことを“人より優れて可愛い”と思ったことも無く、どちらかというと自分の好きなところよりもコンプレックスの方が多い性格です。

また、身長も157cmなのでランウェイを歩くような背の高いモデルさん向きのお仕事はお受けすることができない為、自分は美容のモデルとして特化しよう思いました。

化粧品の広告モデルや、ヘアモデルなどの顔寄りの半身の撮影カット中心のお仕事に力を入れることで、企業さんからの依頼が増えました。

DJを始めたきっかけ


モデルのオーディションの時に特技何ですか?と言われて料理・音楽っていうよりかは「DJって言ったら面白いよね?」みたいなところから、お世話になっていた事務所の社長がDJをする機会を作ってくださり、少し練習したらハマってしまった感じなんです。

小梛準子さん

キャスティングの仕事を始めたきっかけ

自分にご依頼いただいたモデルのお仕事で、自分がスケジュール上お断りしなければいけない案件に対して、ただスケジュールNGで断ることは簡単ですが、クライアント様はまたモデル探しをしなおさなければならないですし、仕事が自分で取れないという相談をしてくれていたモデルの友人が多くいたため、ただ断るのでは無くクライアント様に希望のモデルの詳細を聞き、友人のプロフィールを送り、クライアント様とモデルさんをマッチングしていたことがきっかけで、キャスティング事業になっていきました。

モデルの繋がりが無いクライアントと、モデルのお仕事が少なく困っていた友人を繋げると両者から喜ばれる為、ただ断るよりみんながwinwinになると思って利益は求めていなかったのですが、次第に依頼件数が増えていきました。

そんな時にシングルマザーになる事になってしまい、自分1人で子供を育てていかなければいけない状況でしたので、キャスティングのお仕事であれば子供とお家にいて、ベットでお乳をあげながらでも出来るんじゃないかと思い本腰を入れてやる事にしました。

今から約10年前インスタが流行り始めた頃、モデルの仕事を依頼させていただいていた友人達の多くがインフルエンサーとして成長していました。

当時は企業さんがインフルエンサーを使ったプロモーションを行い始めていた時代でしたので、広告代理店さんでもインフルエンサーさんのリストをまだ所有しておらず、タイミング良く大手企業に関わる仕事させていただけたことが今の自信に繋がっています。

キャスティングをはじめた頃は今のようにインフルエンサーという言葉も、キャスティングという言葉も世の中に知られておらず、自分のクライアントをライバルであるモデルさんにご紹介する事自体が、おかしな事のように周りから言われたりもしましたが、あの時、人助けをする気持ちを忘れず、自分の心に素直に動けた自分に今は感謝しています。

小梛準子さん

ブランドの立ち上げ

キャスティングの仕事にも慣れ時間に余裕ができた頃、前々から声かけをしていただいていたバッグのOEM会社員とタッグを組みバッグブランドを始めました。

最低ロット数が300と多く、不安がありましたが、はじめて展示会を開催した際に多くのインフルエンサーさんにご来場いただき、更にそのインフルエンサーさんの投稿などで問い合わせが増え、人気のデザインのバッグは量産と新色展開を繰り返し計1,500個完売しました。

そんな中コロナが流行り、バッグを製造していた中国の工場や、バッグに使用する革の市場にも行けなくなりました。

自分のブランド運営とキャスティング業だけでは固定収入としては弱いと感じていた時、親友のアパレルデザイナーの女の子から自分でアパレルブランドを立ち上げたいという相談があったので、昔に一度仕事をした事があり信用していたアパレル会社の社長を繋げました。

その後、無事にお繋げした社長の会社で親友のブランドが立ち上がる事になり、私も会社に毎日のようにお手伝いで出会入りするうちに社員にならない?というコロナ禍の時代にありがたいお話をいただき、その会社に就職する事になりました。

就職後は6つほどのブランドの立ち上げに関わる事ができたり、社長と最大で13案件ほどを掛け持ちしたり、今だから言えますが…毎週末、担当しているブランドのオフラインイベントが重なってしまった時には13連勤するなど、多忙を極めました。(笑)

忙しかったですが、お仕事自体はとても楽しくやり甲斐を持ってしていました。

しかし、仕事すればするほど家庭にしわ寄せがくる状態で娘との時間もなくなり、気付いたら家族のために頑張っている仕事なのに、これって家族のためになってないなぁと思うようになりました。

仕事に対しての意識

企業さんと関わる時にはまずは会社のこと、商品、サービスなどを深く調べます。
また、打ち合わせの際にその会社が課題としていることや目標を把握するようにしています。

例えば、化粧品のPR依頼をいただいた際には、どんな内容でなぜ肌に効果があって、みたいな所まで自分で調べてからPRを行います。  

PRひとつとっても、ただPRをするだけではなくクライアントさんの事をよく知り、より良く見せれるようなPRを常に心掛けています。これは他のすべての仕事でもそう言えます。

今後の人生の生き方は?

今後の人生で計画しているのは、30代で仕事をバリバリ頑張り、40代でもう1人子供を授かりたいと思っていて、年を取ってからはいろんな方の心の拠り所、居場所になるような施設を作りたいと思っています。

母が愛されキャラ?なのですが…(笑)
自分が家にいなくても、友達が勝手に自分の母と連絡取り合って、家に帰ったら友達が5~6人いるような環境でした。

親が共働き、離婚している、家族仲悪い友達が実家に集まっていて、自分の母が皆の心の拠り所なっていました。
母もシングルマザーで大変なはずなのに、皆に愛情を与えて、人から愛されている母を身近で見ていました。

そんな母を身近で見ていたので私も心の拠り所になれる空間を作りたいなと思いました。
行き場所が有る人でも無い人でも、気軽に立ち寄れる居場所を作りたいです。

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