INTERVIEW

シンディさん

タレント/インフルエンサー/経営者 シンディ(桑原茉萌)さん

PROFILE

総フォロワー50万人。
バスガイド、歯科助手、キャバ嬢、バーレスク東京、バチェラー参加、1年間の世界一周に挑戦、日本と世界の窓口を目標に会社設立。
18歳の頃に30cmの卵巣嚢腫が発見され生死を彷徨った経験を経て「やりたい事をやりたい時にやる」をテーマに生き、同じ病や生き方に悩む女性の希望になれればと、講演活動や執筆活動にも取り組んでいる。

桑原茉萌からシンディへ。第二の人格で掴んだ新しい人生~18歳で生死を彷徨い「今を生きる」と決めた28歳の挑戦~

現在のお仕事について教えてください

フリーでタレント活動をしております、シンディこと桑原茉萌です。現在28歳です。2025年11月に自分で会社を立ち上げて、フリーのタレントという肩書以外に、女社長という肩書が新しく加わりました。

これまでの経歴を教えてください

経歴が変わっていまして、高校卒業後、まずバスガイドになりました。その後、定時定休がある仕事が良いなと思い、歯科助手に転職しました。歯科助手をやりながら、その歯医者が高齢者の方の送迎サービスをやっている所だったので、送迎ドライバーも掛け持ちで行い、介護口腔ケア推進士という資格を取得しています。
その後、若いのに夜の時間が暇だな、この若いエネルギーがあり余っているのに働かないのはダメなんじゃないかと思っている時に、たまたまキャバクラにスカウトされました。昼は歯医者、夜はキャバ嬢という二つの顔を持つ生活を始めたんです。

キャバ嬢を始めた理由には、深い想いがあったそうですね

キャバクラでお金を稼ぎたい訳じゃなかったんです。これが後にシンディと名付けることに繋がるんですが、ずっとシンデレラに憧れていて、舞踏会を経験してみたかったんです。キャバクラでドレスアップをして、ヘアメイクをして、フロアに立ってシャンパンを飲む。それが私には舞踏会を体験しているような気持ちになれると思って、キャバ嬢を始めました。舞踏会の体験という目的があったので、次のステップも視野に入れていました。テレビ番組『家ついて行っていいですか』の取材の時に、次は何を目指しますかと聞かれた時に、バーレスク東京で働きたいとお話しさせていただきました。

シンディさん

「シンディ」という名前の由来は?

たまたまバーレスク東京に見に行った時にスカウトしていただいて、ダンサーになりました。その時に、自分に第二の人格として生まれ変わりたかったので、新しく名前を付けました。シンデレラが好きでシンディなんですが、ディズニープリンセスが結婚してめでたしめでたしで終わることが、ずっと納得いかない子供だったんです。結婚した先が大切なはずなのに、なぜ結婚してめでたしで終わるんだろうと。私は結婚したあとのその先を示せるプリンセスになる、自分だけのシンディストーリーを作り描いていくということで、芸名をシンディと名付けました。

18歳での卵巣腫瘍の経験が、大きな転機になったそうですね。

18歳の時に卵巣腫瘍で30センチの腫瘍が体から見つかって、一度生死を彷徨いました。本当に死んでもおかしくない状況だったので、もし生きられるんだったら、もう後悔ないようにやりたいことをやりたいと思った時にやるというのを目標にしました。
日本って、長く働けば長く働くほど真面目という風潮がありますよね。私は全くその型にはハマれていません。転職ばかりして何事も続かない人なのかなと思われつつも、時間は無限ではなくて有限だと思うので、自分が後悔しないように生きるために、その時に自分が必要なステージに上がっていく。下がるのではなくて、上を目指してどんどん階段を上ってステップアップしていくイメージで仕事をしています。

バチェラー出演時の戦略的なキャラ設定が印象的でした。

17名の女の子がいましたが、容姿も体型も身長も並だった私が、どうやって目立つポジションを獲得できるのかと考えた時に、絶対に誰に何を言われようと負けなかったのが年齢でした。なので、とにかくキャピキャピ若いキャラクターになろうと思いました。赤髪にしたのも、他の子たちよりも目線を引きたかったから。でも、外見から入られる恋愛に疲れていたので、あえて嫌われそうな反対色の赤にして周りとも差別化をし、バチェラーから私の外見ではなく中身を見てもらいたいと思いました。
当時はドキンちゃんをイメージしていました。アンパンマンに出てくるドキンちゃんで、ちょっと一見嫌われやすいけど、頭の脳裏のどこかにチラつく、ちょっと応援したくなるような存在。バチェラーでの私は、ドキンちゃんの実写版だと思っていただければ。

幼少期からいじめを経験されていたそうですね。

幼少期からずっといじめられていました。バスガイドになってもキャバ嬢になってもずっといじめられていて。何も悪いことをしている訳でもないのに、ターゲットにされやすいことにすごく悩んでいました。女友達がたくさんいる子に憧れていたんですが、自分はそうなれなかった。それが悔しかったので、芸能活動を2019年から始めた時に、桑原茉萌という名前を捨てて、全く見た目とイコールにならないミスマッチなシンディという人格を誕生させました。

「シンディ」にはどのようなテーマがあるのですか?

シンディという女の子は、女の子に好かれる女の子で、女の子に憧れられる女の子になるという設定を自分で作りました。苦手なことを挑戦してみない限り、新しい自分にはなれないと思ったので、バーレスクの時に絶対に女の子のお客様から接客をしていきました。同性から支持を得るってすごく難しいことだと、いじめられた経験があるからこそ思っています。今、ありがたいことに女性の方からも応援していただけるようになりました。そこに対する感謝の気持ちを忘れないようにしています。
今のゴールは、シンディと桑原茉萌の人格の統合をどのタイミングにしようかと悩んでいます。それは自分が結婚して子供を授かったタイミングなのではないかとぼんやり考えています。

貯金300万円で世界40カ国を巡られたそうですね。

元々バスガイドの経験もありましたし、祖父と祖母が世界旅行が好きで、よく小さい頃から海外の様子を見せてくれたんです。その祖父母が辿ってきた世界とか、色んな景色を見てみたいという気持ちがありました。あとは他の人と差別化というか、他の人ができないことを。皆さん『いつかお金が溜まったら』『いつかいつか』という言葉が口癖になりがちだと思うんですが、いつかが来るかなんて分からない。私は18歳の時の病気の経験からそう思いました。今自分が悩んでいる間に、旅をして色んな世界で色んな人に触れたら、本当に自分が見せたい世界とか、今後やりたいことが出てくるんじゃないかと思って、世界一周に行くことを決めました。
見た目がこういう感じだし、前職がキャバ嬢やバーレスクで夜職のイメージが強いので、港区女子とかパパ活女子とか言われるんですが、実は全然そんなことないんです。その印象を変えたかったので、あえて世界一周をバックパックですっぴんで、化粧品を持って行かないボロボロの格好で行きました。貯金300万円の中から切り崩して、なるべく質素倹約。その300万円で一年間どれだけの国を回って、どれだけの人に出会えるのかという挑戦をしました。当時、お仕事をいただいていた状況でしたが、一度立ち止まって自分を見つめ直すタイミングが必要だと感じました。今のこの年齢で飛び出す人は中々いないと思いますし、後悔するんだったら行動した方がいいというメッセージも伝えたくて世界一周に行きました。

卵巣腫瘍が再発されたそうですね。

バチェラーの撮影の後に再発してしまいました。一番芸能活動をさらに頑張ろうという力が入っている時に、なぜこのタイミングに私にまた手術をしなければいけないという選択肢を与えてくるんだろうと、すごく落ち込みました。でも逆に捉えて、18歳の時は全く強みがなかったし、私が声を出しても誰も聞いてくれる状況ではなかった。でも当時8万人くらいのSNSのフォロワーがいて、皆に注目してもらっているタイミングで病気が再発したということは、この経験を誰か他の人に役立たせる使命があるんじゃないかという考え方に変えました。
初めてSNSで発信したのが2024年です。YouTubeで動画を出したり、女性疾患の講演会や執筆もやらせていただいて。最終的な目標としては、私が子供を産むことができれば、同じ病気で悩む女性たちの気持ちを救うことができると思っています。私の辛かった経験が、100人、1,000人、1万人の力になるタイミングだと思っています。

シンディさん

「努力は必ず報われる」という信念について教えてください。

努力は必ず報われるという言葉がありますよね。シンデレラのストーリーも、私はそこに憧れているんです。幼少期、何もしていないのにいじめられて、でも優しい気持ちと信じる気持ちを持っていたら、素敵な人に出会えるという物語。まさに私はシンディになると決めてから、今、全くその通りの人生を歩めていると思っています。いじめられて辛い経験、18歳で生死をさまよった経験、色々な辛い経験があったからこそ、今の自分が輝いています。発言に対する力強さというのも、生死をさまよったのが一番大きいと思います。

株式会社SENPAI GUIDEを設立されたそうですね

世界一周をしていて気づいたことがあります。観光地が思い出を作るのではなくて、出会う人がその国の印象と思い出を作るということです。日本に行ったことがある外国人に聞いてみたら、『日本人は英語が喋れなくて冷たかった』『日本食は美味しかったけど、人はちょっと冷たくて悲しかった』という言葉が出てきました。もし私が初めて出会う窓口になることができたら、そんな風に思う外国人の方はいなくなると思って、株式会社SENPAI GUIDEを立ち上げました。今、浅草の観光大使の仕事をさせていただいているので、元々のバスガイドの経験を活かして、浅草の歴史や背景を伝えながら、インバウンドメインの観光ガイドツアー会社を運営しています。
これからは日本だけじゃなくて、世界にも好きを共有できるコミュニティを作っていきたいと思っています。アニメや日本文化、寿司、焼き肉など色々なジャンルがありますが、それぞれ世界各国に日本好きな人がいます。でも共有する場所がないと思ったので、共有できるコミュニティ作りを目指して動いています。

今後の目標について教えてください。

女性が活躍する社会に日本がなっていったら嬉しいと思っています。いじめられた女の子も、考え方一つ変えて努力をすれば、女の子に応援してもらえる女の子になれる。これも一種のシンデレラストーリーだと思っています。私の今までの人生の背景が誰かの力になるような生き方と、女性が活躍する社会になっていくように、今そこを目指しています。

シンディさん

20〜30代の女性へメッセージをお願いします

皆が避けようとすることをなるべくやるようにしています。その時におかれた状況で、人が選ばないルートをあえて選んで花を咲かせる。時間は有限です。いつかが来るかなんて分からない。今を毎日エンジョイすることが大切です。マイナスのことをプラスのことに切り替えて考えることを意識しています。辛い経験があったからこそ、今が輝いている。努力は必ず報われる。その言葉を信じて、一歩を踏み出してください。

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